最低賃金みたいだな、クソだな
工場で働いてたことがあるんだけど、そこで何やってたかっていうとひたすら商品に「賞味期限」のシールと「新商品」っていうシールを貼るっていう単純作業。
なんか貼ってて、「あぁ、スイートポテトたちは私の手によって『新商品』として世に送り出されるんだな〜、何回も店頭で見たことあるよな〜ぜーんぜん新商品でもなんでもないよなぁ」って考えちゃって、途中からスイートポテトが本当にかわいそうに思えてきた。新しい新しいって言われ続けること。そう言うレッテル貼り。同情の目。
人が一人いれば1つ解釈が生まれて、今日本人は1億うんぜん万人ぐらいいるんだから、少なくても一億うんぜん個の解釈があって、例えば好きっていう感情も。
恋人に対する好き、友達に対する好き、親に対する好き、ペットに対する好き。
言葉に表現しても他人からしてみれば???っていう好きとか、そういうのも含めればほんと数え切れないぐらいたくさんあるはずなのに。
白黒はっきりつけたいっていう個々人のエゴのせいで「好きなの?」「嫌いなの?」っていっつもいっつも答えを迫られる、もはやそれって脅迫じゃん?って思うんだけど。特に中学生とか高校生のときはひどかったね。もはやクイズ、自分の感情に正解も不正解もないのに、正解を選ばないと、切り取り線に沿って、はい、さよなら。ジ・エンドですよ。あー怖女社会。
男の子を取っ替え引っ替えしてるような、女の子。そーゆう、愛を無償提供してる人を世間ではビッチだとか、ヤリマンだとかいう言葉を使って、傷をつけていくわけじゃないですか。もう、笑ってしまうよね。私にはどうもできないけど。その人なりの好きの形が世間の反感を買うこともあるってなんだが自由が奪われてくみたいでつらすぎ。
目をつけられちゃったら投げつけられる刃を上手くかわしながら生きてくシューティングゲームなのかもよ人生って。
あ、それこそシール貼りみたい
コレクションしてきた常識の寄せ集めで作ったでっかい印刷機で作ったシールを他人にペタペタペタペタ。
黄色とか緑の好きがあってもいいはずだよ。きっと。
何が言いたかったかったいうと、心に爆誕した感情に、他人から名前をつけられて殺されたくないなーって言う話でした。ちゃんちゃん。おしまーい。